プロデューサーが語る
藤原ナオヒロ

2014年12月27日

久保田氏は藤原の一連の作品の作・編曲も手がけており、歌手・藤原ナオヒロを一番良く知る人物。満を持して始動した藤原ナオヒロとのコラボレーションについて、その全貌を語って頂きました。

【久保田条実…作・編曲家、ピアニスト、グラフィックデザイナー。80年代より数多くのポップスや舞台音楽等を手がけ、90年代より舞台、イベント等のプロデューサーとして活動。『StraySheepは眠らない。』(97年・東京芸術劇場)、『UnderShangri-La』(98年・東京芸術劇場)の総指揮、脚本、オリジナルサウンドトラック制作等によりその活動の幅を広げ、現在ではグラフィックデザイナーとしても活動している。プロデュース集団「スタジオエクスプレス」主宰。】

実は本命ではなかった…

──まずは藤原さんとの出会いから教えてください。

久保田:うーん、どこからともなく奴が現れた…ということにしておきましょうか(笑)。

──えっ、しょっぱなからいきなりはぐらかす?(笑)。

久保田:実は最初はあまり興味がなかったので、ディティールはよく覚えていないんです、正直なところ。 出会ったのは一昨年(2012年)の4月でしたが、同じ頃、もうひとり、ものすごく上手なボーカリストと知り合って、そっちの彼をどうしても獲得したかった。その彼は既に何年か前にプロデビューしていたけど1曲か2曲でも一緒にやってもらいたかったんですよ。しかもウチのマンションの向かいに住んでいて(笑)。で、その彼にアプローチをしかけたところだったんです。

──あらら…。

久保田:実はその2〜3年前に、ジュノンボーイコンテストのファイナリストの男の子をプロデュースしていたんだけど、ある事情で頓挫しちゃったのね、全く音楽的ではない理由で。大げさに言えば権力に負けたというか…(笑)。ものすごい挫折感を味わいました。音楽的にはとてもイイ線いっていたんだけど。で、そんなことがあって、J-POPはもういいやって気持ちが続いていて…デザイナーの仕事も忙しかったしね。でも、やっぱりポップスやりたいな、って思い始めていたところに、そのお向かいに住むボーカルが現れて…(笑)。

──時期が来た、と。でも、それがなぜ藤原さんと?

久保田:ね、自分でも不思議(笑)。「この春に大学を卒業して、歌手を目指して東京に出て来ました」とか言われてもねぇ…「へぇ、いまどきそんな無謀な子がいるんだ」って思った。「馬鹿なの?」って思いましたよ、ホントに(笑)。 特にイケメンというわけでもないし、デモを聞かせてもらっても別にたいして上手くもなかった。まぁ、下手くそではなかったけど。でも、全くプロの歌手になれそうな要素はありませんでした(笑)。

──あ、なんか伝説にありがちなストーリーですね、ワクワクしてきました(笑)。

久保田:パッと見、線が細い感じの印象でね、それになんか田舎臭いし(笑)。「田舎の野球少年がそのまんま大人になったカンジ」って思っていたら、ホントに野球やっていたっていうし(爆笑)。 でも、なんかいじらしいところがあってね、放っておけないっていうか…マジメで素直だしね、おじさん、ちょっとココロが洗われちゃった…みたいな(笑)。 でまあ、少しくらい応援してあげようかな、というふうに気持ちが動いていった。

──それでプロデュースを引き受けたと?

久保田:いやいや、まだその時点では正直そのつもりはありませんでした。でも、ボイストレーナーを紹介したりはしましたね。レッスンにもつき合った。デモを録ってあげたり。 本格的にこの子をプロデュースしてみようかな、と思ったのは出会ってから1年近く経ってからです。気がついたら奴のためにオリジナルを作ってた(笑)。

──何が心を動かしたんでしょうね?

久保田:なんだろう…やっぱり彼の真剣さかな。こちらも感情の生き物ですから、理屈やスペックじゃないところで心が動くわけです。

苦しかった日々

──それから藤原さんとの二人三脚の日々が始まるわけですね。

久保田:ええ…でも、予想していたより、ずいぶん時間がかかってしまいました。

──出会いから2年…ですか。

久保田:ボイストレーナーについてずっとレッスンをやってきたんですけど、いろいろと試行錯誤もあってここまで仕上がるのに時間がかかりました。僕個人の事情としても、他の仕事より優先するわけにもいかなかったし…。彼も生活のための仕事があるので…でもまあ、彼はかなり焦っていましたね。就活もせず郷里を飛び出してきた以上、後がないわけで。

──試行錯誤というと?

久保田:まず、やっぱり歌唱力の問題が…(笑)。最初にも言ったけど、彼はそれほど上手いワケじゃない。もちろんヘタってワケじゃないですけどね。でも、テクニックのことを言えばいまどき素人でももっと上手い人はたくさんいます。「じゃあ、なんでやってるの?」と言われるかもしれませんが、逆にものすごくテクニックがある人でもなかなか出せない要素…っていうか「藤原マジック」のようなものを彼は持っているんです。

──んんん? それはどういったものなんですか?

久保田:天性のものなのかな…声質とか、醸し出す世界観とか…。もしかしたらヘンな倍音が出ているのかもしれない…(笑)。うまく説明できないけど(笑)。でも、それってポップスのおもしろいところで、その「プラスアルファ」がテクニックより優先されることなんです。クラシックやジャズではあり得ない話なのかもしれないけど。

──ほほう。

久保田:とはいえ(笑)。やっぱり最低限の歌唱力は必要ですから、彼の魅力を最大限に引き出すためにもね。…ボイストレーナーの先生にも、いろいろと試行錯誤をして頂きました。 本人がやりたいこと、僕が彼に望む歌唱、ボイストレーナーが目指すもの、それぞれビミョーに違うと思うんですけど、そこが一致するまでにも、ちょっと時間が必要だった。 それに、歌って、どんなに教えても、本人が実感として…というかカラダで体得しないと越えられない要素がかなりあって、それを掴むためにこれだけの時間が必要だった、ということなんじゃないかな。

藤原ナオヒロの魅力とは?

──藤原さんの魅力って、ズバリ何だとお考えですか?

久保田:音楽的な意味で? うーん、それを僕の立場で言っちゃうのはどうなんでしょう。今は、画で言うなら真っ白い紙に描いた木炭画のようなもので、色がついていくのはこれからだと思います。だから今の段階で「魅力」はこれだ、とはあまり言いたくない…。

──なるほど。では、人間的にはどんな人物なんですか?

久保田:これ、本人も読むよね…あまり言いたくないなぁ(笑)。

──そこを、あえて…。

久保田:まあ、素直ですよ、少なくとも僕に対しては素直であろうとしているみたいです(笑)。スポーツをやっていたせいか律儀だし、努力家なんじゃないかな。天才タイプでは決してないですね。 ホントはね、彼と会うまでは「ゆとり世代」の子にちょっと偏見を持っていたかも。彼が一般的なあの世代とは違うだけなのかもしれないけど。ものすごくいろいろなことをちゃんと考えているし、それを実行しようと努力している。だからいじらしい。 あとね、平成生まれのくせにちょっと「昭和」っぽいというか(笑)。不思議とノスタルジーを感じるキャラなんですよ。

──あ、それはちょっと分かる気がします(笑)。

今後の活動について…

──今後はどのような展開を考えているんですか?

久保田:実はものすごい制約の中でやっているプロジェクトなので、正直、どうなるか分かりません。今回のネットデビューでいいスポンサーでもつけばいいんですけどね(笑)。とりあえずは一曲、一曲、丁寧に仕上げていって、ひとりでも多くのリスナーを獲得すること。そして、この夏くらいに…遅くても秋口くらいまでにライブデビューを果たすことが当面の目標になると思います。 とにかく今の環境で、やれるだけのことを精一杯やるだけですね。 商業的な目標ももちろんありますけど、まずはひとりのアーティストとして、着実に成長してほしいです。

──CDのリリースの予定とかは?

久保田:CDを出すときはアルバムで、と考えているので、制作はちょっと長期戦になるかもしれません。メディア的にはダウンロードでの有料配信が先になると思います。具体的なスケジュールについては、もう少し待ってください。

──了解です。私たち「Anpank and A」のスタッフも、出来る限りサポートしていきますので!

久保田:よろしくお願いします。

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